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常に暇を持て余してる☆★Cana★☆持て余してるが日々のアレやコレやを書き綴ってみたり、色んな事に対して感想を述べてみたりする様な基本的に暇つぶし兼、愚痴の場みたいな感じですwww
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間寛平

間 寛平(はざま かんぺい、男性、1949年7月20日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。レゲエシンガー活動名義および本名は間 重美(はざま しげみ)。通称「寛平兄やん」「寛平ちゃん」、血液型AB型、星座は蟹座、干支は丑年。

目次 [非表示]
1 来歴
2 プロフィール
3 弟子
4 エピソード
5 主な持ちネタ・ギャグ
6 歌
7 レギュラー番組
8 映画
9 TVドラマ
10 過去の出演
11 ゲーム
12 関連項目
13 外部リンク


来歴 [編集]
高知県宿毛市出身。私立柏原高等学校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し、子供がいる。妻の光代は元吉本新喜劇の団員、趣味はマラソン、ゴルフ、競馬、パチンコ、酒(主にビール)

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「あへあへ」「あ~めま」「かい~の」などのギャグで有名。

プロフィール [編集]
12歳の時に大阪市住之江区に引越した。
1968年 - 高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻る。
1969年 - すっとんトリオの紹介で新世界「温泉劇場」(新花月の前身)で修行を積む。
1970年 - 喫茶店のアルバイトしていた時に、その店主の紹介により吉本興業に移籍、吉本新喜劇の研究生になり花紀京の付き人になる。同期に桂文珍らがいる。
1974年 - 木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。
実際上は1973年10月より平参平班では平・木村、そして間の「三枚看板座長制」と言う形を採っており(但し正式にその班を統率し、脚本・演出内容にも強い発言力を有するという意味での座長には昇格していない)、平の座長勇退→専科入りを機に1974年4月より正式に木村とのコンビで座長へと正式昇格。そして1976年4月からは木村、間それぞれ別の班を統率することとなった。
1975年 - 『ひらけ!チューリップ』で歌手デビュー。100万枚のセールスを記録[1]。
1978年 - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。当時の週刊誌の見出しが大きく取り上げられ話題を呼ぶ。
1986年 - アメマバッジを10万個作成し6千万円の借金(街金だった為、返済利息金は月420万円もの額だった)。
1989年 - 吉本新喜劇を退団し東京進出(但し家は宝塚)。バラエティー番組からテレビドラマまでこなす。
1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』のレギュラー解答者として1991年1月から最終回まで出演し、成績はあまりよくなかったが、珍答を繰り広げた。
2008年 - 12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦する。この間、日本には一度も帰国しない予定なのでレギュラー番組は降板することになるが、地球を走る姿はさまざまな番組で放送される予定。
弟子 [編集]
塩野一平(廃業)
シベリア文太
本田みずほなど
2005年、この2人をも従えて石田靖や山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場~寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。

エピソード [編集]
芸能界入りを目指したきっかけはTVで見た菅原洋一を見て「こんなブサイクがTVに出れるのなら俺でも」と思ったからであった。芸能人になるべくキャバレーに勤務、ボーイに就くも、ある日芸能界の入り口にすらなっていない事に気づく。
元々寛平と奥さんは先輩後輩の間柄。奥さんは萩本欽一の大ファンで萩本の追っかけをしており、萩本とも顔見知りであった。奥さん曰く、萩本との結婚も本気で考えていた。だが、後に萩本の結婚を知り大ショック。寛平が奥さんを慰めたのが付き合いの始まりであった。
奥さんの実家が大きな家だった為、いつの間にか寛平が奥さんの実家に住み着いた。
人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま、島田紳助、村上ショージ、ダウンタウン、雨上がり決死隊も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。特にさんまは当時大忙しだったにも関わらず、寛平がスパルタスロンマラソンを走る番組で、「兄さんの為なら」と付き添いの為に(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出された物であった)、無理やり10日間スケジュールを開けた事がある。また『マジカル頭脳パワー!!』で共演した所ジョージや千堂あきほなどからも信頼されている。
その反面、生来、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になってしまう。付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。他にアメマバッジの失敗により6000万円(「さんまのまんま」でゲスト出演した時に自身が明かした)の借金を背負うが、奥さんの光代さんが必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(『いつみても波瀾万丈』で光代さんがゲスト出演した時に明らかになった)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが、当時、寛平も売れ出し始めた事もあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から光代さんが必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除する事が出来た(現在は完済)。
アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称「アメマ裁判」)。この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア~メマァ~…』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア~メマァ~…』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返された。なおアメマバッジは、『いつみても平平凡凡』に出演したゲストにプレゼントされ、『痛快!明石家電視台』では会場の観客に、さらに『進め!クリフハンガー冒険隊』では出演した親子全員にプレゼントされていた。
当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『世界バリバリバリュー』の企画でYahoo!のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、25,501円で落札された(元の売り値1500円)。これを作った当時は「ICが入っているから高い」と聞かされていた寛平だが、実はICは入っていなかった。
「アメマ~」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ~ママぁ…」が転じたもの、とのことである。
過去にB&Bのメンバーとして島田洋七に数度コンビを組まないか誘われ「洋・寛」という漫才コンビを結成したりするも長続きしなかった。ただ池乃めだかとは何度かコンビを組んで舞台に上がった事がある。
10代の頃左官屋の見習いをしていたが、風呂場のタイル貼りを命じられた際、あまったセメントをそのまま排水溝に流してしまい、詰まらせたことが原因で解雇になった。また、新人の頃は経済的に苦しく、吉本に内緒でトラック運転手のアルバイトをしていた時期もあり、地方でうっかり事故したエピソードなどを時折披露している。
TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオの『ポップ対歌謡曲』(週1本のレギュラー)しかなく、さんまとの会話で「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているTV番組に共演するようになったことである。
ハゲ頭のカツラを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演は非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。膝をカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか~」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当に膝を痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。なお大日本住友製薬が老人用の薬の宣材にこのキャラクターを起用した。
野球は筋金入りの南海ホークス好きで同チームから通じて、福岡ソフトバンクホークスファンでもある。現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカー(黒とオレンジが基調のホーム用)を着て登場していた。
『笑っていいとも!』に出演の際には、タモリと必ずサルの喧嘩の真似を行う。
趣味としてマラソンをしており、ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『24時間テレビ』の24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。
アメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済して安堵したのも束の間の数日後、阪神・淡路大震災が発生し宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまう。地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた債務を負うことになった。
もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。後々、長距離レースへとエスカレートしていった原因は、間の祖母にルーツがあり。高齢であっても足腰が強く、幼少だった間が追いつかずに根を上げる程に意気軒昂であったことから「もしかして長命の家系なのでは」と疑い、祖母も頑丈だったのなら、同じ血を引く自分の限界はどこまでなのか知りたくなった事にあるという。マラソンから転じて、鉄人レースにも参加するようになり、毎日走って仕事を行き帰りするようになった。やがて運動量の多さから食欲がなくなり、「ビールなら麦から作っているから米と同じだろう」と、食事を採らずにビールを飲んでいたという。そのうちに身体がだるくなり、診察を受けたところ栄養不足と診断され、「ビールしか飲まないなんてとんでもない、普通の人間ならとっくに筋肉がずたずたになっているはずだ」と、医者はびっくりしていたという。『オールスター感謝祭』のマラソン競技でも、50代半ばにして一般男子以上のハンデがある。しかし近年はミニマラソンの高速化により、ミニマラソンではなく駅伝の方での参加が多くなっている。
音感にも優れ、昔から歌唱力には定評がある。かつて「ひらけ!チューリップ」がヒットしたこともある。2000年には、間寛平withアメマーズとして、フジロックフェスティバルに出演している。『痛快!明石家電視台』ではアドリブで作詞作曲した歌を歌い出すこともしばしばある。
忌野清志郎と↑THE HIGH-LOWS↓の真島昌利からアルバム『ジャングル野郎』の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日、SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブのアンコールでスペシャルゲストとして登場。短い時間で様々なギャグを披露し会場を沸かせたあと、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったとされる。この模様は後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。
また、「ジャングル野郎」に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THE HIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることが出来る。また、寛平バージョンは寛平ならではの台詞が入っている。
寛平は『さんまのまんま』に忌野清志郎と出演した際、「ハイロウズが曲を提供してくれたんですよ。」と、とても嬉しそうに話していた。
忌野の死は寛平にとって相当ショックだった様で、2009年6月2日放送の日本テレビでの特番で、マラソン中に忌野の死を知った寛平が大声を上げて号泣するシーンが流された。その後、忌野の為にも頑張ろうと、再び走り始めた。
2006年2月24日に長女が初孫を出産。56歳にして名実共に「おじいちゃん」(祖父)となった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。
『マジカル頭脳パワー!!』内にあった「マジカルアート」で毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描いて(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。しかし復帰第1回でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(解答できずパスとなり不正解)。現在も『痛快!明石家電視台』の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る時には意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、さんまをあきれさせている。
脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族への様々な支援を行っている。
近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。
無類のビール好き。1回に500mlのビール10缶を飲み干したことがある。
犬と寒さが大の苦手。
東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、仕事先の宿の畳の目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと。また奥さんにも相談無しでの決断だったが、奥さんは文句を言わず送り出した)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。
東京進出の理由として、アメマバッジの件も関わっていたとの話もある(『いつみても波瀾万丈』より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年は頑張ると約束していた。
吉本新喜劇を退団し上京、東京で仕事を探すも、関東での知名度が低いため苦労する。そんな時に奥さんが萩本の所へ行けと言われ、寛平が萩本の所へ行き助けを求めた。寛平との面識が無かった萩本は最初は驚き困惑したが、萩本が吉本に電話をして「(寛平は吉本に)必要な人だって」と寛平に告げ、その後萩本の仲介で自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。のちに萩本は「奥さんと一緒に来ていたら断っていた」と語っている(金スマより)
2006年&2007年の『24時間テレビ』内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。
吉本以外の後輩では波田陽区を大変かわいがっている。そのため2006年、2007年の『24時間テレビ』で十種競技に挑戦する寛平を、村上ショージ、シベリア文太、レギュラーらと応援に来ていた。
母親と顔がそっくりである。『探偵!ナイトスクープ』などをはじめとしてよくネタにされている。
2007年の2月27日に、将来的に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。
2008年、モロッコ東南部のサハラマラソンに挑戦。食料などが入った重さ14キロのリュックを自ら背負い、総距離245キロメートルのコースを、3月30日〜4月5日までの7日間をかけて、51時間46分5秒のタイムで完走。
2008年8月19日、1999年から続いていた寛平まつりを2008年10月12日の10回記念公演を以って幕を下ろすことを公表。理由は2007年2月27日に公表した地球一周 アースマラソン(KANPEI EARTH MARATHON)を2008年12月~実行に移すためというのが実情。2008年8月31日にKANPEI EARTH MARATHONの概要について公表された。
そして2008年12月17日の正午にスターターを務めた明石家さんまの合図で、大阪のなんばグランド花月をスタート。過酷なアースマラソンの旅が始まった。舞台には西川きよし、笑福亭仁鶴、コメディNo.1、ザ・ぼんち、島田紳助、村上ショージ、山田花子等の大御所や仲間がスタートの瞬間を見守った。アースマラソンのコースには中国の核実験による放射能汚染地帯が含まれており、放射線防護情報センター代表の高田純札幌医科大学教授から間の健康への危険性が指摘されている。
『オールスター感謝祭2009春』の赤坂5丁目ミニマラソンでアメリカから衛星中継でスターターを務めたが、その時まぶたに「へ」の字を描いており、島田紳助から「兄さん、その目はどないしたん?」と突っ込まれ「虫にかまれてん~」とギャグをかまし、スタジオの出演者とスタッフだけではなくマラソンに出場したタレントまでも大爆笑した。しかし紳助は「兄さん、あきれて物言えんわ!」と突っ込みを入れた。
2009年6月2日放送の日本テレビの特番で、顔に鼻毛を描いて登場した寛平に(本人曰く「走っていたら鼻毛が伸びる」らしい)、スタジオの明石家さんまが激怒。更にサングラスを外すと、まぶたに「へ」の字を描いており、さんまは更に激怒、挙句の果てにカメラにお尻を向けて「パンプキン」というギャグを多用し過ぎて、怒りが頂点に達したさんまは台本を破り捨ててしまう。この時期日本テレビが「ecoウィーク」期間中であり、番組のセットは火曜サプライズのセットを流用した。
主な持ちネタ・ギャグ [編集]
「おっさ~ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」
「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケる時に使用される
「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」
「かい~の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)
「アヘアヘアヘアヘ…」(快感を表すときなど用例多数)マネージャーの妻から5000円で購入
「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。
「ア~~~~メマ!!」(困ったとき・追いつめられたときに咄嗟に放つ一言) ※明日があるさ (テレビドラマ)で稲森いずみが8回連続NGを出した時にこのギャグを放ってハマりのループから救った。
「血ぃ吸うたろか」(息子(間慎太郎)から奪ったギャグ)
「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)
「だ~れ~が~じゃ」「ど~~してじゃ」「な~ぜじゃ」(おじいちゃん役の時)
「お礼のプ~」(「俺のプ~」のバージョンあり)
「いくつになっても、甘えん坊~」
「脳みそパ~ン!」(アメリカでは「ブレインパ~ン!」として使用した)
「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(10と10で20、あと10で30)
猿のマネをしながら、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。
暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。
池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだかの言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある
(めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん!」
(めだか)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん!」
(めだか)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」
(めだか)「またそんな得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん!」
(めだか)「折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」
(めだか)「本当はええとこの子なんですやろ?」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん!」
(めだか)「ええとこ連れて行ったる言うねん」 (寛平) 「誰がエテ公やねん!」
「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)※本人曰く、中学生の頃に考えたネタ。
「かかかか堪忍な~」
「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)
「しっかりできたらぼさっとするかいな!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ~」と言われた時)
井上竜夫も「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。
アメママン(アメマバッジのモデル) 通常バージョンとロックバージョンがある。
先っちょマン
ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」
引きずり女
十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物は台無しに。本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相は不明。
「まいど~!」(鼻声で)
「フェー」(鼻声)
「ふひは!」(鼻声)
「ちょっとしたミスさ」
(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」
「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」
「じいさん、ばあさん、山のぼろ~」
「うんばらばー」
「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)
(ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言もさんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。
(両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」
(両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ~」
セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。
本人曰く、アルバイトでパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『痛快!明石家電視台』での発言より)。
アレンジとして、ダチョウのような動きになることもある。
歌 [編集]
ひらけ!チューリップ(山本正之作詞作曲。この曲を元にしたロマンポルノ映画も制作された)
ヘビおんな物語(「ひらけ!チューリップ」のB面) ※寛平のコント中のネタとしても良く使われる曲。
ゲイボーイ ブルース
わたしは宇宙人
アタレ!宝くじ
Jijy(c/w:カルマは急に止まれない)
大阪で生まれた男(BOROの同名曲とは異曲)
なめくじ君 (寛平作詞、河島英五作曲、コーラスに萬田久子が参加している)
Go!Go!たまご丼
えっ!さよなら(島田紳助が作詞・作曲)
ジャングルジム
天国野郎
やどもり
月光バスボーイ
コスモス
TALKIN' BLUES
RUN RUN RUN(「ファンキー・モンキー・ティーチャー」挿入歌)
レギュラー番組 [編集]
※アースマラソンのため2011年1月(予定)のゴールまでスタジオ出演ができない

大阪ほんわかテレビ(読売テレビ(ytv))
痛快!明石家電視台(毎日放送)
探偵!ナイトスクープ(朝日放送)
映画 [編集]
濡れた欲情 ひらけ!チューリップ(1975年)
極道ステーキシリーズ
パッパカパーシリーズ
明日があるさ THE MOVIE(2002年)
ファンキー・モンキー・ティーチャーシリーズ
罪と罰~ドタマかちわったろかの巻(2002年)
OUT
「ゲゲゲの鬼太郎」子泣き爺役(2007年)
「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」子泣き爺役(2008年)
TVドラマ [編集]
必殺からくり人(朝日放送)
ルージュの伝言(TBS)
琉球の風(NHK大河ドラマ)
ぴあの(NHK朝のテレビ小説)
土曜ワイド劇場「混浴露天風呂連続殺人10」(1991年、朝日放送)
世にも奇妙な物語 「柵」(1991年、フジテレビ)
新・王将(1992年、NHK、土曜ドラマ) 主演 = 第4回上海テレビ祭国際コンクール最優秀男優賞受賞
お礼は見てのお帰り ナニワのべっぴん刑事一本木礼子シリーズ(関西テレビ)
森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜(1993年 テレビ東京時代劇スペシャル 豊臣秀吉役)
明日があるさ(日本テレビ)
火消し屋小町(NHK 23時のNHK)
はみだし刑事情熱系PART-IV 第22話(2000年)袴田役
はみだし刑事情熱系PART-V 第19話(2001年)袴田役
悪意(2001年、NHK)西原甲子男役
中学生日記「笑う扉」(2004年11月22日、NHK教育)
過去の出演 [編集]
レギュラー

笑うと泣くぞ…ダハ!(日本テレビ):東京進出初のレギュラー番組
いつみても平平凡凡(日本テレビ)
マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ 1991年3月~1999年9月の最終回まで出演):寛平の知名度が全国区になったきっかけの番組でもある。
いつみても波瀾万丈(日本テレビ)
AHERA(テレビ朝日)
天才てれびくんMAX(NHK教育、2003年度)
ファンキーモンキー寛平先生がゆく!(朝日放送)
あっちこっち丁稚(朝日放送)
モーレツ!!しごき教室(毎日放送)
紳竜・さんまのスクープ一直線(関西テレビ)
今夜はねむれナイト(関西テレビ)
進め!クリフハンガー冒険隊(中部日本放送)
吉本新喜劇
花月爆笑劇場(毎日放送)
お笑い花月劇場(朝日放送)
吉本コメディ(読売テレビ)
ゲスト・単発

クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ 1991年春~1993年春の特番のみ出演)
所的蛇足講座(福岡放送)
ろみひー(中京テレビ)
踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)
MOTTAINAI(NHK 2007年)
行列のできる法律相談所(日本テレビ)
クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ)
[ 2008/11/27 10:46 ] wikipedia | TB(0) | CM(0)
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